ことのは採集

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研究は勉強ではない

こんにちは、真音とろっぽです。

前々から気になっていた「研究は勉強ではない」ということについて、まとめてみたいと思います。

 

特に文学部だと、そうなるのでしょうか。

大学院に上がって、様々な原典を読んだり研究書を読んだりしていると、仲間内で「勉強してる」「勉強が足りない」みたいな表現を使うことが、けっこうあります。あるいは、「大学院生です」と自己紹介すると「勉強熱心ですね」と言われたりとか。

 

確かに、難しい本を読んで論文を書くのが仕事なので、「勉強する」という表現も分からなくはないのです。広辞苑では「勉強」を「学問や技術を学ぶこと」としています。そういう大雑把な意味では、研究生活も勉強の一環なのかもしれません。

ただ、私には違和感があるのです。その違和感を説明してくれるのが、『新明解国語辞典』の「勉強」の項です。

勉強

1. 物事についての知識や見識を深めたり特定の資格を取得したりするために、今まで持っていなかった、学力・能力や技術を身につけること。

––––『新明解国語辞典』第七版

つまり、勉強というものは、既に世に知られている知識・技術を自分が習得するという営みなのです。学校の勉強や資格試験のための勉強などがその典型です。必要な知識や技術を身につけることが目的となっています。

 

それに対し、「研究」は『新明解国語辞典』で次のように定義されます。

研究

問題になる事柄についてよく調べて事実を明らかにしたり理論を打ち立てたりすること。

––––『新明解国語辞典』第七版

つまり、研究は勉強とは違って、まだ知られていない事実や理論を発見・発明するという営みなのです。もちろん過去の研究文献も学ぶのですが、あくまで目的は未知の事実や理論を確立することにあります。

 

ですので、研究と勉強は本質的に異なるものなのです。

実際には、研究に必要な語学力を養ったり、他の研究者が書いた論文を読んだりしているので、「未知の事柄の確立」というよりは「既知の事柄の習得」を行っている時間もたくさんあります。

しかし、だからといって、あんまり研究のことを「勉強、勉強」と言っていると、研究と勉強の方向性の違いが見失われてしまうんじゃないか……なんて思っています。

 

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ちなみに、世の中に「勉強法」と銘打った本はたくさんありますが、研究の役にはあまり立ちません。というのも、大体がビジネスパーソン向けの資格試験用の勉強法なので、知識・技術の習得が目的だからです。時々手に取ってみるのですが、残念な気持ちで本棚に返します……。

かといって、研究法の本はそれほど需要がありません。いくつか本が出ていますが、専門分野によって研究方法もそれぞれなので、ぴったり参考になる本は非常に少なくなります。