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納富信留「パルメニデス」

こんにちは、真音とろっぽです。

今度、哲学思想史の授業をもつことになったので、その準備として西洋哲学史の本を読んでいます。講談社選書メチエの『西洋哲学史』シリーズ全4巻はなかなか手強いですね。その中から、今日は次の章を取り上げたいと思います。

納富信留「パルメニデス」、神崎繁、熊野純彦、鈴木泉責任編集『西洋哲学史I 「ある」の衝撃からはじまる』(講談社選書メチエ、講談社、2011年)所収

西洋哲学史 1 「ある」の衝撃からはじまる (講談社選書メチエ)

西洋哲学史 1 「ある」の衝撃からはじまる (講談社選書メチエ)

 

ソクラテス以前の哲学者パルメニデスの思想を伝えるものは、わずか1篇の詩しか残されていないのですが、それが甚大な影響を引き起こしました。そこでこんなことを言っています。

探求の道はただこれら〔二つ〕だけが思い浮かびうる。

一方の道は、ある、とし、ないということはありえぬ、とする道である。〔以下略〕

〔49頁。傍点を下線に変換済〕

「何が?」と言われそうですが、納富氏はこう述べます。「ここでは、「ある」が裸のままで、つまり、主語を立てる以前に、それだけで現れる場面が問題となっている」(52頁)。ざっくり言うと「ありとあらゆるものが」となりますが、そういう存在者とか一者とか万物とかいうものの把捉に先立つ「ある」を強調しています。

 

あるんです。あるものはあるんです。無いものは無いんです。言い換えれば、無いということは存在しないんです。だから、何も無いところから何かあるものが出てきたりしないし、逆にあるものが無くなったりもしません。さらに、「ある」は相対的な違い(あれでない、これでない)を排斥するので、別々のものというものはありません。世界には、唯一、あるものしか存在しないのです。

これがどういう帰結をもつのか?というと、次のようになります––––この世界に存在する人や物は種々様々だと思いがちだが、それは誤っていて、すべては1つだ。また、私たちが生まれたり死んだりしているというのも、運動や変化もすべて思いこみにすぎない––––パルメニデスの哲学は、おそらく全哲学思想史の中で最も非常識です。

 

あまりにも常識外れなのに、論駁できない一種の妥当性をもっている……。納富氏は次のように書いています。

「ある」

 この一語を語ること、それが披〔ひら〕く哲学の衝撃は、パルメニデスという人を超えて、新たな地平で私たちを哲学の問いに巻き込む。この点で、パルメニデスにおいて西洋哲学が始まったと言っても過言ではない。ちょうどデカルトの一度の徹底した「懐疑」が、近代哲学を打ち披いたように、パルメニデスが残した徹底した「ある」の思索は、ギリシアでより本格的な哲学が展開される起爆剤となったのである。〔37頁〕

実際、その後の哲学史は存在をめぐる思索の歴史となっていくわけです。哲学というものを正確に理解しようとするなら、ソクラテス=プラトン以前にさかのぼる必要があるのですね。