ことのは採集

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ファン・ヘネップ『通過儀礼』

こんにちは、真音とろっぽです。

大学の授業というものは週1回が多いですが、1週間で次の授業を準備するのは相当しんどいので、時間の余裕があるうちに先々の授業内容を整えています。今読んでいる次の本は、第4回の授業に関わるものです。

ファン・ヘネップ著、綾部恒雄、綾部裕子訳『通過儀礼』岩波文庫、岩波書店、2012年

通過儀礼 (岩波文庫)

通過儀礼 (岩波文庫)

 

 

この本は、題名通り、様々な宗教に見られる儀礼を「分離・過渡・統合」の通過儀礼と捉えて分析したものです。

通過儀礼が行われるのは、出産・成年・結婚・葬儀などが代表的ですが、今私が読んでいる初めの方では、文字通り建物の入り口を通過する際にも儀礼があると言います。

 通常、正面の入口だけが、特別な儀礼によって聖別されたり、もしくは好ましい方角を向いていたりするために、出入りの際の儀礼の場となり、他の出入口は家庭内の世界と外界との中間地帯といった性格は持っていないことがわかるだろう。そのために泥棒は(われわれの文明社会以外の所で)入口以外の所から入ることを好むし、また、死体は裏口または窓から運び出す。妊娠中や月経の最中の女性は、正面玄関以外のところからしか出入りさせず、神聖な動物の死体も窓か穴からしか通さないなどというのもこのためである。これらの儀礼の目的は、いったん特別の儀礼によって浄化された常に清浄であるべき入口を穢さないことにある。同じ理由から、唾を吐くことも、踏みつけて通ることもいけない〔37頁〕。 

引用文で述べられているのは消極的儀礼(タブー)になります。

面白いのは、最後の「踏みつけて通ることもいけない」という指摘です。日本にも同様のタブーが存在しますね。「玄関の敷居を踏んではいけない」

なぜなのでしょう。こういうことは辞書の類ではなかなか調べづらく、ネットで検索してもこのタブーの由来は様々に説かれていて一定しません。ですが、表向きの由来とともに、無意識的ではあれ、ファン・ヘネップの言う「浄められた入り口を汚さない」と言う理由も伏在しているのかもしれませんね。